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なんか気づいたら就活に乗り遅れてた

お久しぶりですヒロです。この夏休みはヨーロッパ旅行やら動画編集やらダンスやらと趣味に没頭していて、すっかり夏のインターンが終わっていたことに気づいたヒロです。果たしてこのまま社会人になれるのでしょうか。

 

 

なぜ働かなくてはならないのか。このことについてふと考える時があります。

 

 

多くの大学生は、「奨学金」という負の遺産を抱えていることでしょう。僕も紛れもなくその一人です。

 

 

この返済をするためにお金を稼ぐ。これも働くための大きな理由の一つではあります。

 

しかしそれとは別に大きな理由がもう一つ。

 

ズバリ、親孝行です。

 

何を臭いことを言っているんだ。そのまま肥やしになってしまえ、そう思われる方もいるでしょう。しかしこれは決して就活だけでなく、僕の人生におけるとても大きな原動力の一つとなっています。

 

僕の家庭は埼玉県なんだか群馬県なんだかよくわからない境界にあるドレミファソラシドのラぐらいはまだ開発の進んでいない田舎にあります。そこは特にブラジルから移住してきた人が多く、そこで生まれた子供たちの多くはろくに日本語を話すこともできず多くは社会に適合できない不良となって肉体労働を糧に生活するほかない人生を送ることになります。

 

ここで問題となるのは子供たちではありません。その保護者がしっかり子供たちが社会で活躍できるように日本語教育なり、道徳的な教育を行わないことに問題があるのです。

 

しかしポルトガル語だけで生活のできるコミュニティが出来上がっている以上は仕方がありません。僕の生まれ育った地は別に日本語が話せなくてもポルトガル語が話せれば生活できてしまうのです。この環境に甘えてしまうと、子供たちはいつか社会に出た時にたとえ日本語でコミュニケーションができてもより高度な読み書きまではできないために、引きこもりになるか工場勤務にならざるを得ないのです。

 

僕の親も例外なく日本語はほとんど話せませんでした(20年たって多少は上達しましたが、教育機関にいたわけではないのでまだカタコトです)。保育園から学校に上がる段階で、僕をどこの学校に入れるかきっと悩んだことと思います。ブラジル人向けの日本語学校、普通の日本の小学校、他にどんなところがあるかはわかりませんが。

 

 

 

 

僕は普通の日本の小学校に入学しました。

 

 

 

なぜろくに日本語も話せない親が普通の小学校に僕を入れたのか、今思うと不思議でなりません。ブラジル人の子供たちは多くの場合、日本語教育に自信を無くして2~3年で学校に行かなくなるのが通例で、僕にももちろんそのリスクがありました。僕も当時の薄い記憶の中で、他のブラジル人の友達が途中でいなくなっていたことを覚えています。

 

けどこうして僕は無事小中高を卒業して、なんなら国立大学に入学して、日本で難無く生活を送れるようになっています。(逆にポルトガル語はそれほど扱えませんが)

 

なんだか長くなってしまいましたが、僕はこの両親の選択にとても感謝しているのです。おそらく当時はそんなことも考えていなくて、「他の子供たちはこの小学校に行くみたいだしそれでいっか」みたいな感じかもしれないけど、それでも日本語や漢字にぶち当たって行くたびに、定期テストがあるたびに、そして高校、大学受験の時でも、日本語で何が書かれているかわからなくても僕を応援してくれた両親に感謝しているのです。

 

 

そんな両親もすっかり年をとっちゃって、父は長いこと病に苦しんで、母は特段日本語ができなくても働ける派遣の仕事でひもじいながらも生活をしている。

 

先日母親からこんな話を聞きました。

 

「新しく応募したバイトの面接で、息子が国立大学に入ってることを褒められた!」

 

なるほど僕はそんなことでも役に立つのか・・・。これが決め手になっているわけではありませんが、どうやら無事バイト先の契約はゲットしたみたいで。

 

いやいや、役に立つなら徹底的に役に立ちたいのです。両親に少しでもいい服を、いい食事を与え、父にはお金を理由に飛び飛びだった治療をしっかり受けてもらいたいし、母には長時間労働で疲れ切った体をスパだかなんだかで癒して欲しいし、あわよくばカビだらけのお家から引っ越してあげられるくらいの支援はしたいのです。

 

だから働かなくてはいけないのです。いや働きたい。いや働きます。

 

 

 

 

ただの自己暗示。みんな就活は早めに動き出そうね。